私は、二人の子どもを持つ母親です。一人は大学生、一人はもうすぐ高校生になります。
我が家では、10年前に子ども達により良い環境をと思って今の家に引っ越しました。
そこからの10年の間に、山場が何度か訪れました。
子ども達の不登校は、その紆余曲折の大部分だったかもしれません。年齢的なことなどもあったと思うのですが、一時は引っ越したことが悪かったのかと、この家を選んだ自分を責めたりもしました。
不登校は、3回経験しました。
・私立の中高一貫校での不登校
・公立小学校での不登校
・公立中学校での不登校
学校とのやり取り・テスト・成績・部活・進学・受験・体調不良・ゲーム・思春期…等々、様々なことで悩みました。
一度経験したら慣れるようなものではなくて、その度に違う様相をなす子ども達に、悩み、考え、時には何もせずに見守りながら過ごしてきました。
何が正しくて何が間違っていたのかは、とても一言では言えませんし、未だにわかりません。
けれども、「不登校になってくれてよかった。」と、今は心から思います。
多くの大切なことに気付かせてもらい、家族の在り方が変わったからです。
子ども達は、学校に行かないで自分と向き合わざるを得ない時間を持ったことで、意図せずとも新しい出会いがあり、気づきがあり、次なるステップへの手がかりを見つけました。
それがたった一人の誰かでも、姿カタチの見えない画面の向こうのゲーム仲間でも、言葉にならない心の通い合いがあったのだと思います。
ほんの一瞬の感覚でも、そのピッタリハマる感覚、安心できる大切なものが見つかったのであれば、もうそれで充分すぎるくらいだと思っています。
良い子、良い成績、良い学校、良い就職、良い家族。
どんな姿が本当に「良いのか」は、とっても難しいです。
どこにいても、どんな風に過ごしていても、そんなに地位も名声も高くても、ほんの儚いホッとできる時間のために、私たちは生きているのかもしれません。
当たり前のことを、当たり前で終わらせてしまうことで、大切なものを見過ごしてしまいかねないこと。
目の前にあるのも、いるのも、笑って話せるのも、当然ではなくて奇跡だってことに気づきました。
不登校の経験は、思いがけず、自分の生き方や家族の在り方についてまでも、深く深く見つめ直す時間になりました。
②に続く。