どん底から生まれるものもある【ぽりごん④】

私が不登校の話をするときに、どうしても切り離せないことがあります。

身の上話になってしまいますが、お読みいただけたら幸いです。

子ども達の不安定な時期に、実家の母との別れを経験しました。

76歳にしてロッククライマーで、敬老の日のスペシャル番組が組まれるような活動家の母でした。その生い立ちがそうさせるのでしょうけれども、強くて明るくて家族や親戚の中で、常に中心人物でした。

父親は家業を営んでおり、優しい人だったのですが、常に頭の中でいくつかの思考が渦巻いているのか、急変することがあり、私はそれがとても怖くて、平穏な日々をひたすら願いながら過ごしていたように思います。

中学高校も、色々ありました。

多分、私の性格の何かがマッチしなかったのだと思いますが、仲間外れに遭いました。部活に真面目に出ていましたが、ペアを組んでいた親友が部活に来なくなり、理由を聞いたらそれを虐めだと責められた、と解釈していますが、未だ真相は謎です。

そのことがあって、部内でも一応強い方でしたが、試合に出してもらえずに悔しい経験をしました。そんなこともあったからなのか、自分の目標達成(英語を徹底的に学ぶ)に気持ちをシフトしました。

行きたい!と強く願った高校は学区外の全寮制私立。かなり本気でしたが、簡単に却下されて没。仕方なく入学した近くの公立高校で、気持ちを建て直すも、入った部活で体の不全が見つかりドクターストップ。その後、母がガンで入院し・・・と落ち着かない高校生活でした。

この頃、もっとしっかり目標をもってちゃんと勉強しておけばよかった、と結構長い間悔やんでいました。その頃の想いを、50歳になるという今やっと叶えている感じです。

こんな教育に関する叶わなかった想いが、子ども達には「良い教育を・・・」という強すぎる思い入れに発展してしまった部分もありました。

卒業後は、早く家を出たい一心で、上京しました。

こちらの生活が楽しくて、実家に帰るのは年に2.3回。

母も自分の両親を看取ってからは、ストレス解消で山に出かけるようになり、それが発展して、海外にも足を延ばし、ネパール・チリ・ブラジル・中国等々、あちこちへよく行っていました。それに飽き足らず、雪山、そして岩壁と次々チャレンジしては、目標を達成するというハンティング人生でした。

いつどんな連絡が来ても慌てない覚悟はしていたものの、やはり突然の知らせは、ショックが大きすぎました。

梯子を外されたような大きな喪失感に加えて、親孝行できなかった自分に対する罪悪感や、残された家族や親戚との対峙、事故であったがために真実を知りたい想いで頭がいっぱいになりました。

人が亡くなった時、悲しさに耐えきれず、自分を責めてしまうことがあると聞きます。

そうでもしないと壊れてしまうくらいのショックだということなのでしょうが、子ども達もそんな気持ちを味わっていたようで、見ていてとても切ないことでした。

人生初めてのどうにもならない大きな悲しみに襲われ、気持ちが溢れてどうしようもないのに淡々と進んでいく段取り。

私ですらどう解釈してよいのかわかりませんでしたから、子ども達の心はもっと揺れ動いていたことでしょう。

ゆっくり心を休めたかったでしょうに、いろいろと事情があって、アチコチとのやり取りの中心に立つことになり、何度も実家や山に行ったりとバタバタして、子ども達には可哀そうなことをしました。

どうやっても世の中には、明らかに出来ないこともあることを学び、そこから何を見出していくのか、どう意味付けしていくのか悩んだ時、最後は自分で決めるんだ、と理解しました。

そうなるまでは時間薬が必要でした。

半年経つころには自分が体調を崩し、同時に子どもも不登校になりました。

自分を責め、自分のふがいなさを証明するかのように、負の材料をかき集めては途方に暮れる毎日でした。

でも、今思うと全て必要で、何か一つ欠けても今はないのだろうなと思えます。

どん底を味わうくらいの出来事がないと、いつまで経っても、親に甘えた自分のままだったかもしれません。

一番いて欲しい時に助けてくれる母がおらずに、寂しくて心細かったですが、お陰で自立するしかない、と割り切ることが出来て、自らの道を歩む楽しさを味わえるようになりました。

子ども達も、年齢の低いうちに、近しい人の死に直面し、生死の境なんて儚いものだと感じたことでしょう。そして、今一緒にいられることや、生きていることの意味をより深く考えるようになったと思います。

不登校でも、不登校でなくても、辛いことはありますね。

でも、その深く切ないことから、生まれることもたくさんあるのだと今は信じられます。

学校に行くこと。

家族といつでも話せること。

当たり前のことが無くなった時に、心にポッカリ穴があくけれど、そこにまた新しい気持ちが生まれ、穴を補いながらも進んでいるのです。

人って強いです。

穴は直ぐに埋まらなくても少しずつ埋めればいいし、

傷ついたら止まっても休んでもいいのだし。

それでも、道は続いているのですよね。

何度止まっても、降りても、乗り換えてもいいし。

これまで来たのとは、違うレールに乗っても良いし。

どんな状況でも

「今」を起点に

過去、そして未来へ

一人一人の人生は、ずっと続くし、全部繋がっているのですね。

時には、歩くのを放棄したくなったり

誰かの支えがないと進めなかったりしますが

生きている限り

私たちは、自分で選んで歩いていくのです。

自分の足で。

人生には凸凹はつきもの。

それでも、ずっと続いて行くし

変わっていくから。

そして何よりも

一人じゃないから。

諦めないで行きましょう。

不登校がなかったら・・・

今日もまた、わかってくれない誰かを責めていたかもしれません。

こんなにも、すがすがしい我が子の笑顔に出会えなかったかもしれません。

空回りしているイタイ自分に気付けなかったかもしれません。

心の底から一緒に笑ったり泣いたりできなかったかもしれません。

不登校がなかったら・・・

「この家に生まれてきてよかった。」

「どうせ生きてるんだったら楽しい方がいいね。」

なんて言葉を耳にすることもなかったかもしれません。

絶対に起きて欲しくない悲しみを味わったからこそ、

当たり前の小さなことに「ありがとう」と思えます。

悲しみが深かった分

歓びも大きいですしね。

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