不登校をグローバルに考える。そして・・・。

「不登校の原因」

無謀だよ、無茶だよ、無理だよ、やめときなよ。

って、自分でもわかっていても、自分の気持ちに正直に行動したい時があるのですよね。

学校に行けない、行かないも、その一つだと思います。

自分でも訳が分からなくなくても、葛藤し続けた自分を褒めてあげて欲しいと思います。

その末に、身体でも、心でも、ちゃんと反応して、自分を守る行動を取れた。

そのことを誇りに思って欲しいと思います。

不登校は、原因がわかりにくいですが、それは、価値観が多様化しているという今の社会の構造にも関係しているように私は感じます。

世の中はとても自由で、インターネットを介して、コミュニケーションは簡単に取れますし、やりたいこと知りたいことも、割と簡単にかなってしまいます。自己表現の自由がどこまでも認められるかのような態もあります。

けれども、学校は、修行の場と言われるくらい、ルールや時間割、学年、勉強の内容、やり方、友達とのかかわり方など、決まりごとが多くて、子ども達は雁字搦めになっていやしないかと感じます。

純粋であればあるほど、その自分の中にある想いと、起きていることの無機質さとのギャップを感じ、気持ちのやり場を失ってしまうのではないかと感じます。

たくさん感じて、考えて、それを試してみたいのが子ども。

それを、実践できる場があれば、学校に行くでしょう。

学校に行きたくない、友達と会いたくないのではなく、行きたいし、遊びたいけれど、それが自分のイメージと合わないから、どう伝えて、どう動いて良いのかわからなくなってしまうと思います。

枠からはみ出すくらいの豊かで大きなエネルギーこそ、大切にしたいものなのに、それを受け容れる土俵が近くにないのだとしたら、やはり学校以外の場を求めるしかないのです。

こんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、そこまで学校に行く・行かないに固執する必要があるのか?とすら思ってしまうくらい、世の中には、学ぶスタイルは多く存在します。

それなのに、たった一つのやり方であまり選択肢のないところで、一日の大半を過ごすことを「普通」とする習慣について、一度見直してみても良いと感じます。

考え方や、生活スタイルも、ものすごく多様化し、世界の果てまでも簡単に行けるようになり、私たちが育ってきた昭和時代とは、まったく違うハイスピードで社会が変化していきます。

昔の人が一生かけて成し得たことが、いとも簡単に叶ってしまい、今は昔の3人分くらいの人生を楽しめるのではないかと思うほどです。

そこまでの大きな社会の変化に対応するために、子ども達の個性も豊かに広がっているのだと思えてなりません。

世界規模で羽ばたける力を授かって生まれて来た子ども達が、その力を存分に生かしていくには、大きな土俵が必要だと思います。

だから「不登校をグローバルに考える」なのです。

不登校をグローバルに考えて

そして

新しい学びの文化を創っていきましょう!

不登校をグローバルに考える会

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. MAさん より:

    私も投稿希望します。

    息子たちに起きた学校に行かれなくなった状況を`不登校´と捉えることに時間がかかりました。

    足かけ9年間のお話を書きたいです。

    • Ikuminal より:

      メッセージありがとうございます!是非ともお願いいたします。息子さん達の話、ちゃんと読んでみたいです。書いていただく方向けのご案内を作りますね。徐々にお声掛けしていこうと思っておりましたが、お申し出くださって大変嬉しいです。よろしくお願い申し上げます。