子どもが不登校になった時は、お母さんだって当事者です。
けれども、お母さんのフォローはあまり手厚くありません。
私もそれで、暗中模索をしました。
どうか、お母さんに楽になって欲しい。
そんな想いを込めて書いています。
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ある時、友人が一冊の本を貸してくれました。
そこには
「子どもを褒めることで心に一滴ずつお水を溜めていく」
というやり方が書かれていました。
その本を参考にして、まずは小さなことから、子どもを褒めることにしました。
「足音がリズミカルだね~。」から始まって、いつもと違う行動をしたときに、気づきコメントをするうちに、口先だけだった定型句「お母さん嬉しい。」という言葉が、本当の嬉しさに変わっていきました。
「手足が長くてスタイルがいいじゃん。」とか「受け答えが優しいな。」とか「ご飯はおいしそうに食べてくれてるな。」とか、ほんのちょっとのことにそっとスポットライトを当てるような感じでした。
褒めると、かすかに子どもの心が揺らぎ、私の心もあたたまり、風が起きて、波が生まれて、気づいたら漕ぎ出せるようになって、家庭の中の空気が変わっていきました。
空気が軽くなってきたら、罪悪感も薄れてきて、家族がみんな自分の道を見つけ始めたような感じがしました。
ほんのすこ~しずつですけれど・・・。
その頃には、自分のために学ぶことをだいぶ肯定できるようになっていて、ある学校に1年間通う決意をしました。
本気で学ぼうとした時、自分の記憶力や理解力の衰えにガッカリしました。
でも、そんな時に、我が子も同じような気持ちを学校で感じていたかな、と思ったり、あれもこれもで頭がいっぱいになった時、「そんなに全部は頑張れないよね。」と、習い事三昧だった子どもの過去に想いを馳せたりしました。
時々、そんな気持ちを分かち合いたくなって子ども達の部屋にお邪魔しました。
何とはなしに同じ空間にいて、会話するうちに、子どもとの距離感や、その間に流れる空気が変わってきました。
それまで、「いいよ。いいよ。大丈夫だよ。」と言いながら、どれほど上から目線で、自分が何とかしてあげよう、助けてあげようと思っていたことか。
勝手に心配したり、憐れむ気持ちで見ていたことかと反省しました。
「今、不甲斐ないのはわかっているけれど、お願いだから、自分で決めさせて。自分で考えさせて。」
「ちゃんと考えているから信じて。待っていて。」
子ども達は、精一杯メッセージを発していたのだろうと思いました。
可愛い我が子には、苦しんで欲しくないから、そのハードルを勝手に外してしまったり、安全そうな道に誘導してしまっていたけれど、子どもの考える力や感じる力を奪う行為だったかもしれません。
何かを貫きたい、チャレンジしたいと思った時に、傍から見たら暴走に見えることでも、自分の中ではめちゃくちゃ納得していたり、失敗しても心地のよい達成感が残ったりすることがあるのでしょうね。
自分も一歩踏み出して、ずっと気になっていたことに取り組んでみよう、と思ったこと。
大人になってもなお、心のどこかに残っていた消化されない想いと向き合ったことで、自分の中にあったズレとかブレを調整することができました。
そのズレてる感覚の居心地の悪さが、変な感情を興したり、遠回りや、空回りを生じさせていたのかもしれないな、と今は思います。
子どもは、本当によく見ています。
親のズレ・ブレがなくなって、自然と笑顔が増えてきたら、それと同調するかのように、子どもの表情も柔らかくなり、自主性を取り戻していきました。
運転手が、具合が悪かったら確かにその電車には乗っていたくないですものね。
学校での生活面での過ごしにくさなどもあったかも知れませんが、我が家の不登校の一因は、自主性の欠如だったように思います。
無言のトライ&エラーをしているチャレンジャーな子ども達を信じる、というとっても基本的なことが出来なかったことで、子ども達が「このままでは立てません宣言」を出して来たのだと思います。
「きっと、この子は大丈夫。」
「この子にあった道がある。なければ創ればいい。」
と信じ切ること。
自分と仲良く生きていると、何の意識もなく出来ることなんだろうと思います。
車を運転する時に、
雪道が心配だったら止めてタイヤを変えるように
子育ても
その時に応じて
出来るか出来ないかを判断して
助けを借りながら過ごしていけば良いのではないかということです。
強い自分だけではなくて
弱い自分も
優しい自分も
ダメな自分も
全部自分であること
自分自身でいることを、丸ごと信じてあげる。
「自信」ってただそれだけのことなんだな。
丸ごと見ることに関しては
子どもの感覚には、とてもかないません。