不登校からの学び環境コーディネーション

いつも関心を寄せてくださる皆さま、本当にありがとうございます。 

ここまで学び環境コーディネーションという言葉を使いながら、それはどういう意味なのか十分にお伝えしないままでおりました。ここへきて、ようやくまとまってきましたので、発信することにいたしました。

そのきっかけとなったのは、この1・2年の間に、一時期は家族以外の人に警戒心を抱いていた子ども達が自分なりの学びスタイル、ライフスタイルを構築していく様子をいくつも見聞きし、ひと区切りという感覚をもったことです。
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そのような様子から、不登校だったから得られなかったことも確かにあった。けれども、不登校だったからこそ気づけたことや伸ばせた力もあったと感じます。そして、得るものと失うものは学校に行っていてもあったのではないかなとも思うのです。少数派の叫びのように感じられるかもしれませんが、努めて冷静に学童期に不登校だった子ども達の成長する様子を振り返ると、不登校の○○さんとして見るのではなく、その子の今を見て何が必要なのかを考えてゆくことが大切。こんな確信に近い想いを抱きます。

「いや学校に行っていた方が失うものは少ないよ」とおっしゃる方もいるかもしれません。確かに、学校では多くの体験を得ることができますが、行かない場合は学ぶ機会を自分達で創作していく必要がありますし、家庭の事情によって学ぶ機会が変わって来る部分もあります。そこが「支援が必要」と思われる所以でしょう。

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前述のように得るもの失うものはどこでもあるとはいっても、不登校という状態になった時に不自由が生じる部分は増えます。私たちも、そこが家庭次第になりがちな状況に疑問を感じて必要なことを考えてきました。

ただ、誤解しないでいただきたいのは、保護者の対応が不十分と言いたいわけでは決してないということです。保護者にも、仕事上の立場や介護やご自身の不調等さまざまな事情があって当然です。生活の大きな変化に対応し、子どもの状態に考慮しながら、できるだけ子どもにとって学びが保障されるように工夫を凝らしている場合がほとんどです。それゆえに「支援」というよりも伴走を、かかわり方を変えることが必要ではないかと思っています。(もちろん支援が必要な場合があることは理解しています)

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こんな発信をすると
「では、学校に行っていれば一人ひとりにとって必要な対応ができているのか」
という議論を呼んだり、公平性を疑う声も出て来るかもしれません。そこで気づかされるのですが、つまりは、 本来は学校に行っているか行っていないかに関わらず、子どもにとってどのような学びが必要なのかを考えて選ぶという意識を持つことが、どの子どもどの家庭にとっても必要だということなのでしょう。

話を拡げ過ぎてしまいましたが、現状では不登校という状態にならないと、選ぶというスタンスに立ちにくいですし、不登校という状態から選ぶ段階に至るまでに長く時間を要する場合もあります。今は、その状態にある方々が選ぶというスタートラインに立てるようなかかわりが必要ではないかと感じ、その想いを学び環境コーディネーションという言葉でまとめてみました。

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方法論というよりも何を目指していくのかというメッセージ要素が強いですが、一旦整理してみました。

この環境をコーディネーションするというステップがあることで、学びを選択できる人が増えて、不登校かそうでないかという境界線がなくなったり、大人みんなで子どもの学びを応援できるようになっていくと良いのではないかと思う次第です。

★学び環境コーディネーションとは?

学び環境コーディネーションとは、不登校状態にある子どもの多様な学びの機会を確保するために、必要なことをみんなで考え、よりよい学び環境をつくるかかわりあいを意味します。

子どもと親、家庭と学校、当事者と専門家などに分離せず、けれどもそれぞれの良さを活かしながら、つながれる人や機関との線を太く育ててゆくのです。

目指すのは、それ等のリソースを活かして自分なりの学びスタイルを創造できる段階に至ることです。

★なぜ「コーディネーション」が必要なのか

それは、学齢期の子ども達にとっては勉強だけでなく生活上の緒体験も含め広い意味で学びは重要ですが、不登校状態になったことによって学ぶ機会が狭められてしまう場合があるからです。

ある調査では、約3割の家庭が家庭以外につながりを持っていないというデータを出しています。また、フリースクール等に継続的に通えているお子さんはひと握りです。このように聞くと、学校に行けない・行かない場合には、家庭以外のどこかとつながることが大前提かのように思えてきますが、むしろその考えが学ぶ機会を狭めてしまっているかもしれません。

家庭も学校もフリースクールや居場所もどれも子どもの学びの選択肢として、その子ども、その子どものいる家庭にとって必要なものは何なのか、今できることは何なのかを考えて選んでいくことこそ必要でしょう。しかし現在その試行錯誤は家庭に任されがちです。周りはデリケートな心理状態に配慮して見守りに回りやすく、結果孤立に陥りやすい時期とも言えるのです。

そこで、このつながり未然の段階にしっかりと目を向け、起きていることをかみ砕いてかかわることをコーディネーションとして示すことで、家庭の疲弊や孤立を防ぎ、子どもが学ぶ機会を拡げやすくなると考えています。

★コーディネーションは誰が行う?

コーディネーションの大部分は、既に家庭で保護者が行っていることでしょう。そこに、不登校にまつわる様々な事情を広く知り、子どもが主体である状態を維持するための第三者的なかかわり、調整役があるとより良いと考えています。

それは、個人であってもグループであっても構いませんが、イクミナルでは、子どもの不登校対応を経験してきた保護者と不登校に深い理解のある心理発達の専門家、スクールソーシャルワーカーがチームを組んできました。当事者の気持ち、子どもの状態を決して置き去りにせず、ひとつの相談に対していろいろな角度から考えたり、知恵を重ね合わせて対応することで、横のつながり、縦のつながりができていくのを見てきました。

★学びのコーディネーションにおいてわたしたちが 大切にしていること

大切にしているのは、対等さです。

大人だから、親だから、先生だから、もう中学生なんだから、お兄ちゃんなんだから、このくらいわかって当たり前、できて当たり前という一方的な判断基準を排除します。けれども、その人の経験値や意見は、年齢や立場に関係なく尊重します。

不登校・・・いや言ってみれば子育ての正解は人によって違うでしょう。けれども、正解がわからないことに対応している時、自己責任論や固定概念はチャレンジを邪魔します。子どもに対応する時には、うまくいかないことも当たり前。それをおそれずに関わり続けてゆくために、対等に話せる関係性を大切にします。

大人同士が対等に関わり合う経験をすることで、子どもとも対等に関わることができるようになると感じています。指導でも支援でもなく対等に関わってもらえた子ども達は「自分で気づき 自分で考え 自分で行動すること」を楽しむ場面が増えるようです。

けれども、材料がなければ動けません。主体的に動くために必要な情報提供や環境調整は積極的に行います。(それを子ども本人に伝えるかどうかは、適宜検討します)

★支援ではなくコーディネートする

支援という言葉ではなくコーディネーションという言葉を使っているのは、あくまで主体は子どもや保護者であり、その時には見えにくくても必ず学ぶ意志を持っていると考えるからです。コーディネーションによって様々な障壁を取り除き、必要なリソースとつながった感覚を得られると、主体的に歩み出すことを実感しています。

このつなぐアクションは、保護者が常日頃行っていることと重なるでしょう。そこにあえてコーディネーションというかかわりを加える必要があると感じたのは、家庭の負担が大きいからです。不登校から波及的に起きる実質的な困りごとや新たに芽生えた気持ちを周りと共有しにくい面はまだまだあります。そして、個人内・家庭内で抱えて不調をきたす方々も少なくないのです。

また、不登校は、病気や障害というよりも、いくつかの事由が複合的に絡みあって起きていることも多く、環境調整が助けになりそうなのですが、学校で対応する教員側の事情も無視できなくなっています。そのような状況下でも子ども達は日々成長していきます。そこで、教員の働き方改革や学校での支援職の拡充を待ちつつも、できることを実行していこうと思いました。

また、不登校の状態にある児童生徒の中には学習・発達・精神の面で支援が必要な面が含まれている場合もあるため、広い視点とある程度の専門性のあるかかわりが必要という考えに至りました。

★コーディネーションの3段階

ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。

では一体、どんなことをしていったらよいのか?という疑問も浮かんでいることと思います。

そこで、私たちが行ってきたことを3つのステップに分けてみました。このような段階を行ったり来たりしたり、並行して進めてきたりしました。

1.つながる(交流会など)

ここでは、専門性を持つ方よりも、同じ境遇の人と話してみることで「自分だけではない」という感覚を持つことが大きな助けになります。自分だけ違うという感覚は、思いのほか辛いものです。
また、交流をしながら、「同じ部分もあるけれどもみんなそれぞれ違う」ということにも気付いたりする段階です。 ずっとトンネルの中にいるような時間が続いて、光が見えないのに進んでいる時は、自分に何かが足りないような気持ちにどうしてもなってしまうので、薄くてもつながりを持って欲しいと思います。
SNSでも、自分と感覚が合うなと思う人や会と出会えるとだいぶ気持ちが楽になると思います。

2.対話する(対話の会など)

もどかしい気持ちを持ちつつも、あえて疑問に感じていることに目を向けてみる時間も大切だと考えています。開けたことのない扉を、ひとりでは開けにくいけれども他の方と一緒にゆっくりなら大丈夫。そんな感覚です。伝わるでしょうか(苦笑)
こころの安全が守られる対話を重ねるうちに、自分にとって何が大切なのかということが見えてくると、その先の行動が決めやすくなっていくと思います。また、立ち止まって考えてみる時間を持ってみると、子どもの見方も少し変わってくるように思います。
この対話の場は、できれば公平性や対話の安全性を見守れるファシリテーターがいるといいと感じています。

3.選ぶ

1.2.の段階を経ながらも、相談先や居場所や学習支援など、さまざまな選択肢を目にして検討されていると思います。1.2.の段階を経て見えて来たことをもとに、必要な場所や方法を選んでいけるとよいですね。
ここでの選択肢は、わかりやすい名前のついた居場所だけではなくて、家族の中での役割を見直してみたり、かかわりを変えてみるといった小さな選択肢も含めて考えると幅が広がります。
子どもと親とで考え方が違ったり、様々な事情で難しさを感じることもあると思うので、必要な時に情報を整理したり、一緒に考えてくれたり、無いものを創りだしていくことをサポートしてくれる人がいると、この段階での行ったり来たりが続け易くなると感じています。

まとめ

改めて書いてみたら、とっても普通のことで、交流も対話もあちこちで行われていますね。

ただ、今回まとめてみて感じたのは、前提として不登校をどう捉え、何を目的に、どのように関わっていくのかという点、そしてその意識を維持し続けてゆくことが非常に重要だということです。

今後は、もうすこしわかりやすく事例などを交えてお伝えしてゆければと思っております。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

【今後の予定】

交流会・相談会 9月23日 詳細はこちら


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