イクミナルの学び環境コーディネーション®とは(2)

~前回の記事からの続きです~
(1)では学び環境コーディネーションとは何か、について説明させていただきましたが(2)では具体的にどう対応する?という部分について説明していきます。

服を選ぶように「学びも選ぶ

(学び環境コーディネーション®︎の説明)

コーディネーションと聞くと、洋服やインテリアをオシャレを思い浮かべて、学び環境コーディネーションと聞いてもピンと来ない方が多いでしょう。そこで、服のコーディネーションを取り上げながら、説明していきたいと思います。

その1:着る人、学ぶ人の個人差について

服の場合、当然ですがサイズに合った服を選びます。
そのことを口にすることも憚られません。万国共通のスケールで測ることもできるため、人による感覚の違いが生じにくいです。

学びの場合、個人差は分かりにくいです。学年ごとの能力が見立てられ、授業は先生が提示する学び方にみんなで合わせるスタイルで進みます。

また、力の個人差について触れては失礼だという雰囲気もあります。そもそも、子どもの力は計り知れないものがあると思っていますが、集団の中では、テストの点数や基準となる姿で評価されがちです。

更に服の場合、成長期はサイズアップが頻繁で買い足しが必要ですしライフステージが変われば選び方も変わります。

学び方も同様に、変化に応じて学び方を変える必要があるのでしょうが、自分の状態を知ることよりも先に、ざっくりとしたゴールが示され、そこに立ち向かい続けることが善とされているように感じます。

その2:着る人、学ぶ人のニーズについて

服の場合、着心地や機能を求めてもわがままとは言われずあてがわれるでしょう。例えば、寒さや雨から身を守るためにヒートテックやレインコートを着る、ちくちくするのが苦手だからコットン100%を着るなどです。

学びの場合はというと、学び方を選ぶとか必要な機能を追加するという感覚があまり無く、努力で合わせるということが求められがちなことに気付かされます。

文字の見え方、板書を写す速さや正確さ、読む速さ、集中できる環境の違いなどは、寒いと感じたら上着を着たり暑ければ脱いだり、眼鏡をかけたり、靴を履き替えたりするように調整できてもよさそうです。


けれども、着心地に匹敵する学び心地については、合わないという感覚があること自体、口にしにくい雰囲気がありそうです。



ここまで書いてきた服と学び。どちらも子どもにとって必要なものですが、服選びが選ぶことが当たり前なのに対し、学びは、決まった尺度に合わせることが求められがちです。

個人による差が目で見てわかるかわからないかという大きな違いはありますが、だからこそ声をあげて調整する練習が必要と感じます。

それらがない構造の中にいると、善悪や優劣を感じやすく、合わないことが出て来た子どもが声をあげられず居場所を失う、そして不登校という形になっていくのではないかと想像しています。

多様性とか人権尊重が取りざたされ、SNSで自由に発言できるようになり、それを肌で感じている子ども達からしたら、学校が窮屈に感じるのかもしれませんが、それぞれの正義を擦り合わせたり、対話をする練習を積む意味でも、選べることは大切だと感じます。


学び方も子どもに合わせて調整する必要がある、けれどもあまり慣れていない、もしくは状況的に行える余裕がない。不登校支援のオプションを増やす前に、この現状を般化して伝え、ともに考えたいです。

そうすることで、「不登校支援」として創出されて来た人やツールや場所そして情報を、望まない不登校を未然に回避することに使うなど、より有効に機能させられるのではないかと考えます。

注:教育の場が全てそのようだと言いたいわけではありません。柔軟な授業展開や子ども理解へと先生方が努力されていることや、集団の安全確保や指導要領に沿った授業展開など様々な事情で学校が業務過多な状態にあることにも目を向けております 。


学びに関しては、態度や能力をある決まった尺度で測ってそこに合わせることを求められる。
そうなると、基準に合わなかったり比較による良し悪しが出てきやすくなります。

これが、子ども達の自尊心を下げて生きづらくする一因で、不登校が増える理由の一部かも知れません。

(3)へ続く

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