オンライン交流会50回を経て思うこと

先日、50回目のオンライン交流会を行いました。

この年末の多忙な時期にご参加くださった皆様、ありがとうございました。

同窓会形式にしたため、参加できなかった方には申し訳ありませんでしたが、関心を寄せてくださる方々のお気持ちに感謝しております。

【オンラインと不登校家庭】

オンラインでの交流をスタートした頃は、普通教育の機会確保法が成立した直後、あのN高さんが設立された翌年で、不登校のオンライン交流会は新しい試みでした。

当時、オンラインゲームが一気に普及し始めたころで、ゲーム依存を心配する親が増え、2018年の6月にはWHOが「ゲーム障害」をICD-11(国際疾病分類の一つ)に認定しました。そのような背景から、オンラインは悪者のイメージを持たれやすかったようにも思います。

けれどもその後、e-sportsが競技化しプロゲーマーが生まれて、ゲームを部活にする学校が出てきたり、身体を動かして遊ぶゲームが普及したり、オンライン形式の学校に中学校(フリースクールですが)も出来て、そこに通う方が急増したりと、ゲームやオンラインに対するとらえ方も多様化した数年でした。

そして今年はコロナ禍で、オンライン化が進み、オンラインというと「そんなもので済ませられるの?」という感覚だったものが、「オンライン、スピーディーにできて便利だね。案外いいね。」という感覚に変化した年でもあったように思います。(そうなったきっかけがコロナだったゆえ複雑な思いもありますが)

そのタイミングで節目を迎えたこの折に、これまでの4年間を振り返ってみたいと思います。

オンラインと不登校の子のいる家庭は相性が良かった】

夜でも開催しやすく、同じ学校やクラスで不登校の子がいてもつながれなかったり、つながってもタイプが違ったりする中、地域に関係なくその場で聞きたいことが聞けるのは、オンラインの大きなメリットでした。

オンラインには空間的な限界もあり、誰かに依存したいほど苦しい時にはそれがはかなくもありましたが、つながっている最中、自分は自分なりにその場に全力を注いできたと思います。(全力を注ごうと意識してやっていたわけではないので「思う」という表現になります)

その気持ちを作ってくれたのは、互いに抱いた「ようやく出会えた」という感覚でしょう。正に、この場を大切に思う方々の想いがこの会を育ててくれたのだと感じています。

オンライン上の交流の場では、「どこか自律的であること」や、「想像力」や「言語化能力」が求められる面もあります。けれども、全員がそうでなくてもよくて、聞く人・話す人・つぶやく人・うなづく人・そういう方々の反応が相まって、温かい時間を作っていました。

そして、オンラインで自分に合った場所を見つけたら、あとは「必要な時にはつながれる」「あそこに行けば、わかってくれる誰かがいる」という安心感も支えになっていたと思います。

親同士で安心して対話することで、子どもや学校の先生とも対話の輪が広がればよいと思ってこの会を続けてきたのですが、無礼ではない自由度があること、そして同じ問いを共有していたことが、 その場の居心地の良さとなり、対話を成り立ちやすくさせていたのだと思います。

そう考えると、対話の成立はそんなに簡単ではなさそうですが、成り立たせるための秘訣も見えてきます。

【今後はハイブリッドの多様化を期待】

不登校のお子さんのいる家庭と相性が良いと思いつつ、ZOOMはそこまで広がらなかったのですが、今年は、分野をたがわず、人とのコミュニケーション方法が劇的に変わりました。

ソーシャルディスタンスによって身の安全は守られたけれども、言ってみればバーチャルな場の上で、心の居場所を開拓するような、新たな課題が生じたように思います。

オンラインの場は便利ですが万能ではないです。けれども、対面が万能かというとそうでもなくて、オンラインだから出来ることもあります。

これからは、それぞれの良さを活かしたハイブリッド(オン・オフの共生)でその状況にあった体制を作っていくことが必要でしょう。(コロナへの配慮は必要ですが)

こうやって、多様さを認めることが、子どもの多様さを受け容れる流れにもつながると良いと思っています。

具体的には、例えば、家庭と学校・福祉・医療連携によるケース会議や、学びやコミュニケーションの選択肢を増やすことは、そんなに難しいことではないでしょう。

【そうなった時に大切なのがコーディネーション】

今まで知らなかった教育の選択肢を知った今年。

学校は再開して元のスタイルに戻りつつありますが、確実に不登校は増えています。今年得た知識がどこかで役に立つ時が来ると思います。学校生活に違和感を感じた時に、慌てずに学ぶ方法や学ぶ場所を選択する人が増加していくかも知れません。

実際既に、フリースクールと地元の通学の両方に在籍している子は一定数います。

そうなった時に、必要となって来るのが複数の選択肢を調整して、その子に合う環境を創るコーディネーション力で、それを行う時に、現状を知ることがとても大切です。

【今を知ること・そして伝えること】

ここまでの数年間で、もっと発展的な活動を行ってもよかったと思いますが、全体像を掴むまでは先に進めないという気持ちがありました。

自分が納得しないまま進んでも、上滑りするような気がしていました。

ちょっとこだわり過ぎかも知れませんが、誰かがアンカーのようにそこに根差していないと、言葉にならないけれど見過ごせない想いが、フワフワ・きらきらしたものにかき消されて行くような、危機感を感じていたのかもしれません。

不登校は「ここまで来たらOK」がわかりにくく、後日談が語られにくいですが、そもそも子育てのゴールが何なのかって曖昧です。不登校で大多数のルートからそれても、トンネルの中のように感じても、それはそれで立派なその子の道だと思います。

なので、落ち着いたら・・・とか、就職したら…ではなく、今をなければよかった時間とするのでもなく、その子その家庭のあゆみとして、言語化することも必要、いや「それが」必要だと感じています。

ただ、それを伝えても共感が得られにくいことも感じていたため、支援者や専門家と言われる方々の言語や文化を少し学び共通言語を探っています。

まだまだ不完全ですが、ようやく当事者と言われる方々と、専門家や支援者と言われる方々の間に透明な橋が架かってきた気がしているところです。

【共通の願い、そしてこれから・・・】

誰もがみな誰かを悪者にしたいわけではなく、子どもが楽しく学び続けられることを願っていると思います。

そして、怠けてやろう、誰かを困らせてやろうという意識の方は、大人も子どももほぼお会いしたことがなく、多くの方が、頑張っていて、佳かれと思って動いておられます。

そこに想像性が足りないのは、その人の努力不足ではなく、かけられる時間や個性の問題だと思っています。

情感も重要ですが、それはそれこれはこれ。悪意のない方や、多様な選択肢を知らない方を責めても仕方がないため、意識のずれ、知識ギャップがあることを前提に調整する力こそ、これからは必要になってくるのでしょう。

日々、なぜそうなる?と思うような残念な事例を耳にしたり、どうしようもない苦しさを抱えるお母さま方と関わらせていただいておりますが、上へ上へと解決策を求めて進むよりも、一旦止まって、暗くてもどん底でも今をしっかり見つめることで、見えていなかった宝ものに気づかれるが多いように感じています。

この寄り添いや現状受容も、調整の大切なファーストステップです。そしてそこから、ご本人やご家族の持っている力や資源をふんだんに活かして、みんなが生きるコーディネーションをしていきたい。

とても抽象的でわかりにくいと思うのですが、この意識を何人かの方と共有することが私の来年の目標です。

また、家庭の声に耳を傾ける動きや、受け皿自体が増えつつあり、イクミナルに意見を求めてくださる政治家さんや、教育関係者さんが時々いらっしゃいます。そういう時は、皆さまの切実な思いを届けたいと常に思っています。

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曖昧さ、不確実さは、弱く見えるかも知れません。

けれども、コロナでやるっきゃないとなって、オンラインを使ってみて意識が変わったように、その漠然としたものの中には何か不思議な力が潜んでいたりします。

不慣れなこと、知らないわからないことを深掘りするのは覚悟もいりますが、どうしてもスルー出来ないことが起きて、そのパンドラの箱を開けてみようと思いたった方が、イクミナルを心地良いと感じてくださっていたように思います。

今は動かないし語らない。けれども、きっとそこには何かある。目の前の大切なものに対して、そう信じて諦めないお母さん達です。そして、それに輪をかけたタフなスタッフの皆さんがいてくださり、目に見えない線の上のオンライン交流会が50回続いてきました。

素直に嬉しく歓びたいと思います。

また、星槎大学大学院准教授の岩澤一美先生、斉藤やす子先生。
ソーシャルワーカーの伊倉真紀さんにも、たくさん力になっていただきました。

今は通過点に過ぎませんが、きっと歴史に残る年であった今年の振りかえりに改めて感謝の意を表します。

少し感傷さも混じる長文を、最後まで読んでくださりありがとうございました。
皆さま、どうぞ良い年をお迎えください。

育つ育てるターミナル「イクミナル」
代表 加藤佳子

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