心身の課題が見過ごされないために必要なこと
この記事では、不登校という状態にある子ども達の『心身の課題』が見過ごされないために、必要なことを書いてみようと思います。
学ぶ機会の継続も重要ですが、その段階にない子ども達もいます。学ぶ機会を確保するためにも、その前の段階つまり人として生活を営むために必要な心身の健康維持について考えてみましょう。
家族にそこまでの役割を担うことを求めているのではありません。
伝えたいのは、そのくらい幅広いサポートが必要であること。不登校のお子さんや家庭に対して、元いた場所に戻す以外の多様な対応が求められているということです。
では、さっそくですが、何が必要なのかを書いていきます。
目次
1. 家族が心のゆとりを持てること。
家族が、抱える課題が多岐にわたることを知って、整理する時間、そこに寄り添う方がいてくださること。
学校や行政など、フォーマルで限定的になりやすい関わり以外に、ビアサポート・当事者会・家族会・親の会親の会など、インフォーマルなサポーターが持てることが好ましいです。
世知辛い話ですみませんが、学校や行政のサポートは、税金で賄われているのですが、「(みんなのサポートをする人だから)我が家のためにばかり時間を割いてもらうのも申し訳ない」といった遠慮が生じがちなようです。
支援の方々には、利用者の配慮や遠慮に甘んじずに必要なことは聞いていただきたいものですが、実際の支援者さんは、非正規雇用であったり、委託を受けている団体さんだったりします。
情報の水平展開がなされていないと感じるのは、だからなのでしょうか。病院や塾や進学に関する情報は、専門家よりも同地域や同じ悩みを持つ家庭の方が新しい情報を、それもふんだんに持っていることが多いです。
親の会などで共通点を持つ方々とつながり合いつつ、現状の整理・代弁、そして落ち着くまでの伴走者として継続的な関わりを持つ役割は、専門家に任せると安心です。
この場合の専門家としてよく挙げられるのは、臨床心理士・公認心理師かと思いますが、心理面のサポートという役割を果たしつつ、役割分散や、家族以外の第三者とのつながり形成を示唆してくださる方だと、よりありがたいですね。
児童や思春期の子どもの心理や発達特性について詳しいかどうか、不登校について新しい概念を理解しているかどうか、学ぶ機会確保の重要性も理解しているかどうか。
この辺りが選択する際のポイントです。
2. 段階や状況に合わせて、子ども・家族それぞれを必要な機関につなぐこと。
何かに興味関心を示して、学びたがっているようであれば、それを提供できる人や場所を探すこと
気になる症状や情緒の不安定さが強めに見られる場合などは、一度医療機関の受診を勧めることなどが必要でしょう。
この場合、心療内科や精神科の受診に抵抗感を示される方も多くいらっしゃいます。すぐに診断を下されて薬を出されるのではないかという不安が大きいようです。
どんな状態にせよ、それを断定されるかのような場面には、確かに心の準備は必要です。
その心境に配慮してくださる機関を紹介するか、心にゆとりが持てるまで、寄り添いを継続的に持つなどの対応があると良いのでしょう。
ただ、本人もしくは家族が、受診・服薬・相談に抵抗感を感じる場合にも、一旦は様子見にしたとしても、緊急度合いや必要度合いを見極めて、必要な時には背中を押す、憎まれ役になる覚悟も支援者には必要だと思います。
精神科や心療内科さんも多様化しています。
医師以外に、作業療法士・ソーシャルワーカー・心理士さんがいて、要望などを事前に聞き取ってくれたり、心のリハビリ的なことをしてくださったり、カウンセリングを医療的ケアとして保険で受けられたり、必要な福祉のサービスとつなぐなど、細やかな動きをしてくれる場合もあります。
学習に関する連携としては、どうしても学校に主軸が置かれてしまいますが、サポートする側も、家庭でもまず、何のために学ぶのかを考え直し、そのお子さんの今の状態を踏まえることが大切です。
フリースクール・居場所・子ども食堂などに足を運べそうな場合も、医療機関等に出向く場合も、まずは保護者の方が下見に行きたいという申し出に理解を示してくださるようなところが安心でしょう。
学校に行かない子ども達に、居場所が必要なのは事実ですが、そこに行けない段階の子ども達や家庭も多くあり、その部分に関わる場合、時には過保護だと言われるような配慮が必要です。
過保護や過干渉と言われそうなことも、保護や介入が必要な場合には必要なケアとなります。
やりすぎたら緩めれば良いですが、足りないものがある場合、結果を成せません。未来のある子ども達にとっての「今」をもっと大切に捉えたいものです。
配慮を施すことで起きた動きが、そのお子さんや家庭のその先の基点となることもあります。
3.連携すること
上記の2点を叶えるために欠かせないのが役割の分散、そして、そのための連携です。
連携の前に、不登校、引きこもりに対する捉え方を新たな捉え方に統一することが第一歩。
これがなければ、動きが無意味になってしまいます。
今でも、登校拒否という言葉を使っている支援団体さん、不登校は家庭環境のせいだとするような言葉を目にしますが、ホームページにそう書いてあるようなところは要注意です。
また、連携できるはずのスタッフが揃っていても、連携の動きがなかったり、連携の場がただの施設紹介や、既存のルートに当てはめること、反省会や自分たちへの労いで終わってしまうようなこともありえるため、目的は何なのか、なぜそれが必要なのかという意識を強く持つ必要があります。
やはり、それを家庭で行うことを求めるのではなく、不登校という出来事に関する専門家による伴走があると良いと感じます。
まとめ
さまざまな状態にあるお子さん達の困り感の根本にあることが見過ごさないために、まずは子どもの心や生活環境が脆弱で不安定なものになっていることを知ることです。
また、その状態を招いた要因は、決して子ども本人や家庭に限定できないこと、その不安定さは周辺症状かもしれないことを併せて認識することです。
何かが足りなかったのだとしたら、困っている気持ちを伝えるチャンスや、伝えることを手伝ったり待ってくれる人でしょう。
不登校の対応は、そのような状態にある人々を対象としますが、罪悪感や挫折感を感じている場合も多く、むやみに励ましたり叱咤激励する対応は、傷つき体験の反芻となりえます。
継続的で、垣根のない支援、そして細やかな配慮が必要であるため、民間のカウンセリングやサポートを受ける場合には、結構な費用がかかります。
不登校になったお子さんやご家庭では、その対応が数年に及ぶ場合も少なくないため、安心して継続的なサポートがうけられるように、不登校対応専門のコーディネーターができたら良いと思っています。
ひきこもりに対しては、そのような機関ができつつあります。けれども、ひきこもりとは少し違って、子ども達が基礎学力や人格形成の時期にあるが故の心配があります。
ひきこもり分野の知識も取り入れつつ、学びや家庭のサポートもできる、そして、本人が自分の力を発揮しやすい流れを作る。
そんな機関があったら良いと思います。
当事者の感覚を出来るだけ客観的にとらえているつもりですが、偏った解釈と思われる方もいらっしゃるかも知れませんね。
さまざまな立場の方と善悪ではなく情報交換できたら良いと感じています。
長文をお読みくださりありがとうございました。
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